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わらすぼ長者 
 どのようなイキサツがあってそうなったものかはとんと知らないが、これから身を立てようと云う若者がワラスボを持って道に立ち尽くしていた。

 「ワラスボて…」

 途方に暮れているのは彼だけではない。
 題に長者と書いたからは、彼には長者になってもらわねば、こちらとしてもどうにも敵わない。
 だがしかし、ワラスボを起点にして、何をどう物々交換せよと言うのか、皆目見当が付かない。
 しかも、

 “そっちのが見映えが面白い”

という揺るがしがたい事由によりて、このワラスボは生である。
 さりとてもこの生ワラスボがいつまでも活ワラスボである筈がなく、さて…さっきから匂ってくるこの匂いは、果たしてワラスボの放つ生臭味であるか、或いは腐敗臭であるか、途方に暮れた若者はその程度しか考える余地を持たなかった。

 幸運にもこれが腐敗臭でなかったとしよう。
 だが、いかばかりの時を待たずして腐敗臭となり失せてしまおう。

 そうだ。
 ワラスボなんか無かったと思えばいい、俺にはこの身があるじゃあないか、身一つで始めればよい、草鞋をかき集めて金貸しにまでなって家が火事になって夢から醒めたら全てが夢で、オコワが炊けたら拾った財布は本物であった、と云う話を聞いたことがあるような無いような…

 しかしそうはいかなかった。

 上にも述べた通り、ワラスボ長者である。
 いつまでもワラスボ長者にならないのならまだしも、他の如何なる手段に於いても彼は長者になってはならないのだ。ワラスボ長者なのだから。
 このために、彼は人間としての健康な努力も生活をも放棄しなければならなかった。


 しかし困った。
 筆の流れとはいえ、誰が腐れかけのワラスボを好んで欲しがる?
 これは大いに困った。

 なにせ、そう、腐れかけのワラスボを欲する者が在ったとしよう。
 それがどこの誰で、たとい如何に整合を保った理由を持とうとも、腐れかけのワラスボを欲しがる、この狂った前提に応え得る点に於いて、彼――ないし彼女は人間の勘定から外さねばならない。
 では人間でなければいいか?
 否、それでは別の話だ。


 私はしばらく考えた。


 ほんとうに考えた。


 何も思い付かない、まるでバカにでもなった気分だ。

 そうだ、このバカを突き詰めてはどうか?
 バカと云うのは凡そ、常に何か止むべからざる必然に追われている。
 その必然に身を置けば、如何なる回答に対しても信を持つ筈である。
 なにせバカなのだから、その信に於いて自らを疑うことを知らない。
 それはとても孤独なものであろう、だが、バカというものはそういった面への配慮を持たないものだ、なにせワラスボ元手に長者になろうと言うのだ、ちょっとぐらいバカになって信とやらを抱いて…つまり傍目には幻の中で踊ってもらう他ない。
 なぁに、彼の幻をさも我らの信のごとく描き出すことが、語るという行為のしご…


 「嗚呼。
  ご飯があと一口か二口なのだけど七輪はあってもオカズは無いや」 


…なんか来ちゃった。
 そんな突飛なものが歩いて来るとは、どうも私には信じられない。
 そんで彼も声のした方に歩いて行ってしまった。
 だから彼がワラスボ長者に成り得たか知らない、行っちゃったんでね。

 ここでこういう文言を付け加えると、なんらかの寓話に…つまり語り手をして揶揄の対象としたものだと言い得る。

 “そっち行ったら危ないって、おい”。

 ――行くなよ、とまで付けたら感傷であろうか、なにか過剰なものを感じる。




 考えて何も思いつかないと述べるまで半年超の間がある。
 しばらくは別のオチを付けていた。
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