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パブロフの犬 
犬にはベルを聞くとヨダレを垂らす習性があるそうですね、あけましておめでとうございます。
しかし「パブロフの犬」と言うのも「イベリコの豚」みたいで、なんとなくロシア文学か何かのようだ。


 パブロフは犬のような男であった。
 そして実際に犬であった。
 しかし彼を知る誰もが―パブロフ自信も含めて―犬のようだ、と言った。
 パブロフは犬のような我が身は呪わしく思っていたし、周囲の人々もそれは均しかった。
 いっそ本物の犬であれば…いや、間違いなくパブロフは生来の犬であって、彼を知らない誰かが、たとえば写真などで彼の姿を見たなら、「なんと犬のような犬だ!」と憤慨するに違いない。しかしパブロフは現として犬のような男なので、いやさ犬のような男でしかなく、憎むに憎みきれない。それだけに苛立ちだけが積り重なっていき、鏡を呪い疲れたところで眠りこけるのが彼の日課であった。
 そして彼は概ねこういう夢を見る。

 眼前になにか見覚えのある犬が…立ったり座ったり尻尾を振ったり下ろしたり、自分の尻尾を追い掛けグルグル回ったり、仕草も行動も日により異なったが、犬はいつも同じ犬であった。
 パブロフは考える。この犬を見たのはいつ、どこであったか?
 しばらく考えていると、パブロフはこの犬が自分に似ているらしいことに気付いた。
 或る日の夢ではパブロフは犬にこう言った。

「君も不運だな。
 こんな、犬のような男に似て生まれつくなんて。
 まさかそれが元でいじめられてや居やしまいね?
 だとしたらどうか、恨まんでくれたまえよ」

すると犬はこう答えた。

「そんなことは無いさ。
 男のような犬よりは大分いい。
 可哀想なのは君の方さ。
 まるで犬のようじゃないか」

 そこでパブロフは驚いて目を見開いた。何も夢の中でまで犬のような男でなくてもいいではないか!
 そして目の前の犬も目を見開き青ざめていることに気付いた。
 いくら犬のような男のパブロフでも、ここまで来ればさすがに察した、目の前にあるのは鏡だ。
 だがどうだ、鏡に写せばそれは、犬のような男、のような犬、ではないか。
 自分を救うのは自分でしかあり得ない、自分は自分で救わなければならない、どうにも浮ついた一言であったので長らく受け入れられずにいたが、結局は心掛けなのだ。
 パブロフは犬のような男であった。
 誰もが彼を犬のような男として眺めた、だから彼はそれに犬のように応えてしまった、他人を鏡としたから、彼は犬のような男でしかあり得なかった。
 いったん受け入れてしまえば後は容易である、すなわち、自分で自分を鏡にすればよい。目が覚めて鏡の前に行けば、そこには犬のような男のような犬、の姿が映るであろう。 何者にも従わないということは、自分にのみ従うということだ、鏡の中の彼に従えば、その彼とは私だ。私が私に倣い生きるということは、自然、私はそれまでの私と袂を分かってゆく。
 最初からはうまく行きはしないだろう、だがうまく行っていなかったのは最初からだ。これから少しずつ、三歩進んで二歩下がるように少しずつ、だが僅かだからこそ信じられるような気もする、よくなっていくのだ、彼は晴れやかな気持ちで眠りの中に戻って行った…


…と、考えて眠りに落ちるのが彼の日課であった。
 夢と言ったのは、一日中我が身を呪ったパブロフは夜には正気を失っていて、狂う余力もまた失っている彼は其を夢だと解釈していた事に拠る。
 他人を鏡と云々、考えてもみよ、最初に犬のような男のパブロフが居なければ、誰もそんなことを考えない。

 寝る前の狂騒など長持ちするものではない、犬になった自分を夢見、目覚め、そして鏡の中に犬のような男を見て悲歎に暮れることから彼の日課は始まる。
 

 パブロフは犬のような男であった。




 とりあえず試し書き。
 これもしばらく前に書いたもの+直し。
 ちょっと書き加えていたらワラスボと似た調子になった。

 罫線が入ると改行の感じがちょっと違って見える。
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