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初笑い・カフカ冒険の巻 
ある朝、ザザムシが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。
 っていうかもう、ザザムシは最初からザザムシだったので、とりあえず二度寝した。
 非毒虫控除が受けられなくなることがやや気になったが、もとよりザザムシ程度の神経しかザザムシには無かったので、気になったといってもそれほどは気にならなかったのだ。

 ザザムシな上に毒虫で、しかも人間大のサイズがあるので、見た目で普通に怖かった。
 “サイズのあるそれ”って云うとラノベっぽいなぁ、メモっておこう。いいなあ、“それ”。じつに便利だ。あと“その”とかも。

 そうしてザザムシは最初の一年間いっさい喋るのを辞めて、次の一年はなんかやたらと呟いた。
 現代は便利だ。
 ザザムシが全身の脚を使って繰り出すタッチタイピングはもう、パっと見でトラウマものなのだが、家族としては慣れたものでエキサイトしてタッチ音がうるさい時に熱湯をかけるぐらいで許してくれた。
 【朝起きたら毒虫になってたんだけどなんか質問ある?】とスレ立てしたところ、なんでも人間から毒虫に変わった人がいるらしく、まさかのご本人登場で3レス目で乗っ取られてしまった。
 いやだね、自分の不幸をひけらかすなんて。気持ち悪いよ、と毒虫は毒虫なりに考えたが、やはり、毒虫は毒虫であった。
 しかし画像も貼らずにスレ立て(すぐ削除されてしまうので貼れないのだ)からもひとつ勉強になることがあった。
 毒虫になったから毒虫検定を受けねばならないと思っていたが、なんでも毒虫検定は民間の機関が勝手に云いだしたもので、義務でもなんでもないのだという。却って検定を受けることで毒虫度を上げてしまったり、また「検定があるからって勉強した程度の毒虫では、使い物にならない」らしい。




 妹のダイオウグソクムシは兄が毒虫に変わったのだから、これはもう普通にスルーした。
 毒虫になったザザムシの毒というのは、衝撃やストレスを与えると毒煙を周囲にまき散らし、触れると肌がかぶれる、というものだったので、部屋が深海のダイオウグソクムシにはあまり関係なかった。
 「お兄ちゃんのと洗濯もの一緒にしないでよね、毒虫なんだから」ぐらいの雑言は、いやしかし思春期の小娘なので以前から兄と父の洗濯ものを分けるきらいがあって、兄が毒虫に変わったところでこれ幸いと言いだしては、父を毒虫に巻き添えにする按配になってしまう、そこでダイオウグソクムシは兄の洗濯ものを黙って燃やしていた。
 ちなみにアニメ版ではこの描写があるたびに、逆に偏執狂的である旨を囃し立てる弾幕が貼られるのが常であったが、そもそもアニメ化なぞしてもいないので、その心配もなかった。

 書きながら、考えているのがめんどくさくなったところで父親(ツマグロヒョウモン)が唐突にリンゴをザザムシにぶん投げた。
 三年目にリンゴは遠慮がちに言った。


「他の作でも風切り羽を切っちゃったりして、井伏ちんのはみんな同んなじだ、って言う人も居るけど、それは初作の印象を当てはめて見てるだけの、不自由な意見なんだぜ。
 その意見は意見でいいんだけど、だったら、或る著者の著作群に従と属をつける……つまりテキストとサブテキストを分けるってのを、これを無議論で通しちゃいかん。
 無議論を無議論のまま突き詰めても、顕わになるのは論者その人でしかないんだ。
 つまびらかに展開していって面白い人間なんて、そうはいないんだよ?」


 四月、金沢の風はザザムかった。
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みにくくはないアヒルの子 

「あぁ。
 なんでぼくはこんなにみにくくはないんだろう」

 みにくくはないアヒルの子は兄弟の中で一人だけみににくはなかったためにいつもいじめられていました。
 この言葉遊びがどう転がるか、なんとなくお分かりですね?

「なんてみにくくはないやつだ!」

 兄たちはみな、くすんだ黒い羽毛で、とてもみにくい姿をしていましたが、それよりもなお、心がみにくかったのです。
 みにくくはないアヒルの子に泥を浴びせかけては、

「へっ、いくらおれたちみたいにみにくくなくはなくなっても、水で洗えばすぐみにくくはなくなっちまうんだ」
「けっ、よるなよるな、おれたちまでみにくくはなくなっちまうぜ」
「まーぁ?おれ達がおまえみたいにみにくくはなくなることなんてねえけどなぁ」

という、よく分からない方面にねじれたいじめ方で、みにくくはないアヒルの子をたびたび困惑させました。
 みにくくはないアヒルの子は、兄らはそのみにくい外貌から心を閉ざしているのだと思い(そして残念なことには、単に彼らの心がみにくかったのです)、自己肯定を促すために、とりあえず誉めようと思いました。
 兄たちを許すことが出来るのは「今に於いて吾しか在らぬ」という使命感がたぎっていたような気がする、と後にみにくくはないアヒルの子は手記を遺しています。
 しかし意気込んでみたものの、みにくくはないアヒルの子は困ってしまいました、どこにも誉めどころが無いのです。ありもしない誉めどころを探すのですから、弟が兄に向ける視線は自然とやかましくなり、苛立ちを深めた兄たちのいじめは一層苛烈さを増していきました。

「兄さんたちの羽ってシックで素敵だなぁ」

 やっと捻り出した誉め言葉が歯に衣着せたの丸出しだったために、怒り果てた兄たちは虚脱を起こし、ついにハンガーストライキへと移行しました。
 ここまできて、これまでみにくい子供らのフォローに必死だった両親は、みにくくはない末っ子のことを気にかけるようになりました。

「なんだってお前は、一人だけそんなみにくくはない姿に生まれたのか。
 そうでなければ全て諦め、受け入れることができたものを」

「僕をみにくくはなく産んだのはあなたたちじゃないか。
 ならばなぜ僕をみにくくはなくはなく産んでくれなかったのだ」

 ひどい話もあったものです。
 書いていてもかわいそうになってきたので、ここらでオチにしましょう。
 心も姿もみにくい兄たちは実はみな、心のみにくい美しい白鳥だったのです。

 あまりのその身のみにくさから、却ってつねに美しいものを意識していた彼らは、美しい白鳥の姿を得るや、彼らの思い秘めた美しい観念そのままに、実に優雅に飛び去って行きました。





「白鳥なんてのは優雅に見えるもんだが、水の下では足をジタバタモガモガ、必死なもんだぜ」

 成鳥してのち、嗅ぎ煙草を吸う釣り人の言葉を聞いてやっと胸の透く思いをしましたが、「水面下の苦労はアヒルも一緒ではないか?」と気づき始めたのはしばらく経ってからということです。


パブロフの犬 
犬にはベルを聞くとヨダレを垂らす習性があるそうですね、あけましておめでとうございます。
しかし「パブロフの犬」と言うのも「イベリコの豚」みたいで、なんとなくロシア文学か何かのようだ。


 パブロフは犬のような男であった。
 そして実際に犬であった。
 しかし彼を知る誰もが―パブロフ自信も含めて―犬のようだ、と言った。
 パブロフは犬のような我が身は呪わしく思っていたし、周囲の人々もそれは均しかった。
 いっそ本物の犬であれば…いや、間違いなくパブロフは生来の犬であって、彼を知らない誰かが、たとえば写真などで彼の姿を見たなら、「なんと犬のような犬だ!」と憤慨するに違いない。しかしパブロフは現として犬のような男なので、いやさ犬のような男でしかなく、憎むに憎みきれない。それだけに苛立ちだけが積り重なっていき、鏡を呪い疲れたところで眠りこけるのが彼の日課であった。
 そして彼は概ねこういう夢を見る。

 眼前になにか見覚えのある犬が…立ったり座ったり尻尾を振ったり下ろしたり、自分の尻尾を追い掛けグルグル回ったり、仕草も行動も日により異なったが、犬はいつも同じ犬であった。
 パブロフは考える。この犬を見たのはいつ、どこであったか?
 しばらく考えていると、パブロフはこの犬が自分に似ているらしいことに気付いた。
 或る日の夢ではパブロフは犬にこう言った。

「君も不運だな。
 こんな、犬のような男に似て生まれつくなんて。
 まさかそれが元でいじめられてや居やしまいね?
 だとしたらどうか、恨まんでくれたまえよ」

すると犬はこう答えた。

「そんなことは無いさ。
 男のような犬よりは大分いい。
 可哀想なのは君の方さ。
 まるで犬のようじゃないか」

 そこでパブロフは驚いて目を見開いた。何も夢の中でまで犬のような男でなくてもいいではないか!
 そして目の前の犬も目を見開き青ざめていることに気付いた。
 いくら犬のような男のパブロフでも、ここまで来ればさすがに察した、目の前にあるのは鏡だ。
 だがどうだ、鏡に写せばそれは、犬のような男、のような犬、ではないか。
 自分を救うのは自分でしかあり得ない、自分は自分で救わなければならない、どうにも浮ついた一言であったので長らく受け入れられずにいたが、結局は心掛けなのだ。
 パブロフは犬のような男であった。
 誰もが彼を犬のような男として眺めた、だから彼はそれに犬のように応えてしまった、他人を鏡としたから、彼は犬のような男でしかあり得なかった。
 いったん受け入れてしまえば後は容易である、すなわち、自分で自分を鏡にすればよい。目が覚めて鏡の前に行けば、そこには犬のような男のような犬、の姿が映るであろう。 何者にも従わないということは、自分にのみ従うということだ、鏡の中の彼に従えば、その彼とは私だ。私が私に倣い生きるということは、自然、私はそれまでの私と袂を分かってゆく。
 最初からはうまく行きはしないだろう、だがうまく行っていなかったのは最初からだ。これから少しずつ、三歩進んで二歩下がるように少しずつ、だが僅かだからこそ信じられるような気もする、よくなっていくのだ、彼は晴れやかな気持ちで眠りの中に戻って行った…


…と、考えて眠りに落ちるのが彼の日課であった。
 夢と言ったのは、一日中我が身を呪ったパブロフは夜には正気を失っていて、狂う余力もまた失っている彼は其を夢だと解釈していた事に拠る。
 他人を鏡と云々、考えてもみよ、最初に犬のような男のパブロフが居なければ、誰もそんなことを考えない。

 寝る前の狂騒など長持ちするものではない、犬になった自分を夢見、目覚め、そして鏡の中に犬のような男を見て悲歎に暮れることから彼の日課は始まる。
 

 パブロフは犬のような男であった。




 とりあえず試し書き。
 これもしばらく前に書いたもの+直し。
 ちょっと書き加えていたらワラスボと似た調子になった。

 罫線が入ると改行の感じがちょっと違って見える。
わらすぼ長者 
 どのようなイキサツがあってそうなったものかはとんと知らないが、これから身を立てようと云う若者がワラスボを持って道に立ち尽くしていた。

 「ワラスボて…」

 途方に暮れているのは彼だけではない。
 題に長者と書いたからは、彼には長者になってもらわねば、こちらとしてもどうにも敵わない。
 だがしかし、ワラスボを起点にして、何をどう物々交換せよと言うのか、皆目見当が付かない。
 しかも、

 “そっちのが見映えが面白い”

という揺るがしがたい事由によりて、このワラスボは生である。
 さりとてもこの生ワラスボがいつまでも活ワラスボである筈がなく、さて…さっきから匂ってくるこの匂いは、果たしてワラスボの放つ生臭味であるか、或いは腐敗臭であるか、途方に暮れた若者はその程度しか考える余地を持たなかった。

 幸運にもこれが腐敗臭でなかったとしよう。
 だが、いかばかりの時を待たずして腐敗臭となり失せてしまおう。

 そうだ。
 ワラスボなんか無かったと思えばいい、俺にはこの身があるじゃあないか、身一つで始めればよい、草鞋をかき集めて金貸しにまでなって家が火事になって夢から醒めたら全てが夢で、オコワが炊けたら拾った財布は本物であった、と云う話を聞いたことがあるような無いような…

 しかしそうはいかなかった。

 上にも述べた通り、ワラスボ長者である。
 いつまでもワラスボ長者にならないのならまだしも、他の如何なる手段に於いても彼は長者になってはならないのだ。ワラスボ長者なのだから。
 このために、彼は人間としての健康な努力も生活をも放棄しなければならなかった。


 しかし困った。
 筆の流れとはいえ、誰が腐れかけのワラスボを好んで欲しがる?
 これは大いに困った。

 なにせ、そう、腐れかけのワラスボを欲する者が在ったとしよう。
 それがどこの誰で、たとい如何に整合を保った理由を持とうとも、腐れかけのワラスボを欲しがる、この狂った前提に応え得る点に於いて、彼――ないし彼女は人間の勘定から外さねばならない。
 では人間でなければいいか?
 否、それでは別の話だ。


 私はしばらく考えた。


 ほんとうに考えた。


 何も思い付かない、まるでバカにでもなった気分だ。

 そうだ、このバカを突き詰めてはどうか?
 バカと云うのは凡そ、常に何か止むべからざる必然に追われている。
 その必然に身を置けば、如何なる回答に対しても信を持つ筈である。
 なにせバカなのだから、その信に於いて自らを疑うことを知らない。
 それはとても孤独なものであろう、だが、バカというものはそういった面への配慮を持たないものだ、なにせワラスボ元手に長者になろうと言うのだ、ちょっとぐらいバカになって信とやらを抱いて…つまり傍目には幻の中で踊ってもらう他ない。
 なぁに、彼の幻をさも我らの信のごとく描き出すことが、語るという行為のしご…


 「嗚呼。
  ご飯があと一口か二口なのだけど七輪はあってもオカズは無いや」 


…なんか来ちゃった。
 そんな突飛なものが歩いて来るとは、どうも私には信じられない。
 そんで彼も声のした方に歩いて行ってしまった。
 だから彼がワラスボ長者に成り得たか知らない、行っちゃったんでね。

 ここでこういう文言を付け加えると、なんらかの寓話に…つまり語り手をして揶揄の対象としたものだと言い得る。

 “そっち行ったら危ないって、おい”。

 ――行くなよ、とまで付けたら感傷であろうか、なにか過剰なものを感じる。




 考えて何も思いつかないと述べるまで半年超の間がある。
 しばらくは別のオチを付けていた。
試し書き 
思考錯誤中。
よくわからん。

試し書き。

試し書き。

試し書き。

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